幼稚園の保育時間は、四時間を標準とするとされてきた。しかし、最近はそんなことを言っている幼稚園はどこにもない。早朝保育から、預かり保育の終了まで入れると、十時間から十一時間にまでなる。これが保育園となると、早朝六時から、延長保育で夜八時までとなる。なんと十四時間にもなる子がいる。しかも、土曜、休日保育まで入れると、とんでもないことになる。労働基準法で、大人は守られているが、子どもはどうなるか。
子どもも保育者も余裕がない。「保育サービス」という言葉がある。子どものために充実した良い保育を行うというより、父母のためのサービス、利便性だけを考えているように思えてならない。昔、預かり保育を実施するに当たり、子どもを預け、預かり合う地域の助け合い、支え合う絆を切ってしまうのではないか、と心配した。「子育て支援」を言うなら、子育てが楽しくなるような環境を作ることが大切である。それを社会がサポートするシステムと制度を確立し、隣近所、友人、知人みんなで、人と人が繋がり、支え合う中で、たくさんの手で子ども達が育つ。幼児施設は、その中の一つにすぎない。
幼児人口の減少と、今後の幼児施設の不安定な動向のため、保育サービスの充実ばかり重視され、保育(教育)内容どころの話ではなくなっている。しかし、幼児教育の充実なくして、子ども達の未来はない。教育の世界に余裕がなくなっている。
最初の話に戻すと、幼稚園は教育機関であり、初めて出会う小さな社会(幼稚園)の中で、子ども達の緊張時間は四時間程度が適当であるとのことであった。教師も子どもが帰った後は、評価・反省、教材研究の時間が必要である。しかし、現実はバス通園終了、清掃が終わるとすぐに終業時間になってしまう。幼稚園の先生方は、子どもが帰った後が大切なのである。
日本の幼稚園創始者と言われる倉橋惣三先生の「育ての心」の中に「子どもが帰った後」という文章がある。子どもと一緒にいる間は、自分のしていることを反省したり、考えたりする暇はない。子どもの中に入り込みきって、心に一寸の隙間も残らない。ただ一心不乱。子どもが帰った後で、いろいろのことが思い返される。自分の言動と子どもの思いが見えてくる。この時間が大切であり、そこから創意工夫のより良い保育が生まれてくる。何も考えず、毎日同じことを繰り返す保育は、楽であっても味気ない。教育は余裕がなければ深まらない。創造的教育や、本当の楽しさも生まれない。子育ての喜び、楽しさも、子どものことを深く考える余裕がなければ生まれない。