「自分のことは自分で!」

(2021.10.01)

A君が、園庭の椅子に座って、夢中になって鼻の穴に指を突っ込んでいた。指先に触る鼻クソが、もう少しで取れそうで取れない。目は座り、他の事は眼中にない。一心不乱。やっと取れると口の中に。そして、又鼻の穴をほじくる。しばらく眺めていると、やっと私に気づいて、「なーに?」と言った。「鼻クソ食べるのを止めな、汚いよ」と言うと、余計なお世話と言わんばかりに「いいだろうー」と口を尖らせた。「そんなに美味しいなら、園長先生のもあげるよ」と鼻をほじくり、丸める仕草をして、2本の指を彼の前に差し出した。すると「あのねー、自分の事は自分でしなきゃだめだよー、自分のは自分で食べな!」と言われてしまった。そのとおり、『自分のことは自分で』いつも私が言っていること、見事に1本とられた。

子育ての目標は自立、自分で生きていく基礎を培うこと。その第一歩が、自分の事は自分でできるようになること。元々、子どもはやりたがり、意欲的だ。3歳くらいになると「自分で!」と言って、何でもやりたがる。悪戦苦闘して、服を着るが、前と裏が逆になっていたり、靴をはいても左右が逆になっていたりする。大人が逆になっていたら、とても着心地が悪い。そのままではいられないが、彼らは平気である。「逆だよ」と注意すると「いいでしょ」と突っぱねる。逆でも履けたことが大事なのだ。そのうち、正しく履いた方が居心地良いし、動きやすいことがわかると、自然と直っている。やらないより、やる方がずっといい。稚拙でも自分でやることを評価したい。

入園当初、給食を前にし、ただ茫然と眺めている子がいる。明らかに自分で食べたことがないのだ。いつも、あーんして、食べさせてもらっていたのだ。口を開ければ、自動的に食べ物が口に入ってくると思っている。テラスに座って、足を出せば誰かが履せてくれると思っている子もいる。お母さんの中には、自分で食事をとらせると、汚されるから、食べさせた方が楽、と言う人がいる。トイレットトレーニングも、やらせて、何度も失敗しなければ、できるようにならない。いつまでも、自分でやらせなければ、ただの木偶の坊になってしまう。

人間をダメにしてしまう1番の策は、何もさせず、何でもやってあげてしまうことだ。徳川家康が今川の人質になっていた時に、今川義元が配下に、「家康のすることは、何もかも自分でやらせず、やってやれ」と命じた。しかし、家康のお付きが、城下に連れ出し、村の子ども達と遊ばせ、立派に育てた。散らかし汚しても、自分のことは自分でやらせよう。失敗したり、うまくいかなくとも、自分でやること自体が大事。見守り待とう。

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