
小学校の近くに住む友人が「毎日、スピーカーから聞こえてくる先生の怒声・指示・命令にウンザリした。六月になって、やっと解放され、心が和らいだ。五月は、自分もその声に緊張した。子ども達はもっと張りつめていただろう。」と言っていた。お分かりだろう。運動会の入場行進だ。いつの間にか、小学校の運動会は五月になった。なぜ日本人は、子どもに整然と隊列を組んで歩かせることが好きなのか、一糸乱れず歩くと、すばらしいと思うのでしょうか。それを、「足が揃ってない!前の子と一列になって!手を振れ!」と怒鳴りつけて、命令して、子ども達にとって何のためになるのか、揃えると教育的効果があるのか。ただ、強い者、目上の者に従順になるようにしつけるためにやっているとしか思えない。
初めて日本に来た外国人が、甲子園の高校野球の開会式の映像を見て、「あれは日本の少年院の野球大会かと聞いてきた。」という話があるが、たしかに、丸坊主でまるで戦前の学徒動員みたいな軍隊式行進を見たら、そう思うのも当然である。
今は下火になったマーチング。どうも好きになれなかった。行進しながら、演奏するのは、子どもには過酷であった。かなり厳しく指導しないとできない。それがいやで、登園拒否も増えたこともあったようだ。 本園のマーチングはほとんど動かないので、隊形変化もなかったが、それでも、子どもにとって楽しいものとは思えなかったので止めた。マーチングを止めた翌年のマーチングのない運動会を見たお父さんの中には、「ふたばの教育は落ちた。」と言う人がいたと聞いた。全員が揃って整然と動く姿に感動する人がまだ、いるのは分かるが、そこまでの過程の中で、子ども達が失うもの、辛い経験は一緒に生活してみないと分からない。落ちたのではなく、「子ども達には、とても良かった」ことなのである。ちなみに、幼児教育の専門家の中でマーチングを良いと言う人はいない。
勿論、みんなで揃って合唱したり、合奏したり、踊ったりする時に、だんだんみんなで声が合ったり、合奏が整ってきて、きれいな音になったり、踊りが揃うようになったりして、歌ったり踊ることが気持ちよく、楽しくなってくる。教える側は誉めることはするが、叱咤、命令、指示はしない。音楽は音を楽しむことであり、気持ちよく歌うことである。「いいね!みんな気持ちよさそう、楽しいね!」と、少しの援助と共感だけで、とてもいい音楽や踊りになる。
